AkatsukiDiary

社会人旅行記

東欧周遊旅行 ポーランド・ワルシャワ 編(20200302~3)

こんにちは。あかつきです。

ワルシャワは三日間滞在しましたが、全てを一つにまとめて書きたいと思います。

ウクライナリヴィウ からポーランドワルシャワにやってきました。リヴィウ の滞在はたったの二日間でしたが、また機会があれば今度はキエフに行ってみたいです。

 

 

ウクライナポーランドの時差は1時間です。空港からワルシャワ中央駅までは列車で移動しました。

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券売機。

この券売機で20分券を購入してワルシャワ中央駅へと向かいました。現金、クレジットカード両方使えますよ。

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列車。

見た目は特急列車ぽいですが、快速列車でした。

しばらくしてワルシャワ中央駅にやってきました。

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夜の文化科学宮殿。

私が訪れたブダペストクラクフリヴィウは静かな古都のようなところでした。一方ワルシャワはそれらの都市では見られない高いビルや商業施設が特徴的でした。中でも文化科学宮殿と呼ばれる塔は印象的でした。文化科学宮殿の詳細については後ほど説明します。

 

私は少し東欧の料理に飽きていたので、日本食が食べたいと考えていました。そこでラーメン屋を探すことにしました。私は「MUGI」というラーメン屋さんに行くことにしました。

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MUGIの雰囲気。

お店の中にはポーランド若い女性(学生?)が何人かいて割と賑わっていました。

今思えばリヴィウ からワルシャワの飛行機で話したカナダの学生さんが日本の居酒屋がカナダで流行っているといっていたので、こういう昭和とかの雰囲気は世界中で若い人に人気なのかもしれない?

 

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醤油ラーメン。

来ました日本のラーメン!スープは日本の醤油ラーメンのままで美味しかったです。麺は少し柔らかすぎましたが、体が温まってとても良かったです。食後はホステルへと向かい終了しました。

 

 

 

翌日

翌日2020年3月2日になりました。この日はコペルニクス像の見学やワルシャワ歴史地区方面へ出かけました。

 

コペルニクスは聞いたことがあるかもしれませんが、ポーランド天文学者です。

コペルニクスの生きていた中世では宇宙の中心は地球であるという「天動説」が信じられていました。一方コペルニクスは宇宙の中心は太陽であり、太陽の周りを地球や木星などの惑星が公転していると考えました。これを「地動説」と言います。この考えは中世以降さまざまな人へ大きな影響を与えることになりました。

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コペルニクス

 

このコペルニクス像をよく見てみると、像の真下に円形の線が書いてありました。これは太陽系の軌道を表しているようです。

 

コペルニクス像からそのまま真っ直ぐ進むとワルシャワ大学の門が見えてきました。ワルシャワ大学は1816年に開講され、200年を超える歴史があるそうです。さらにトップクラスの学生たちがポーランドや世界中からやってくるようで、文系・理系様々な学科があります。中でも日本語学科という学科もあって、大変人気だそうです。

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ワルシャワ大学

非常に立派な門構えでしたが、大学内に入らずに歴史地区方面へ進みました。

 しばらくすると歴史地区が見えてきました。カラフルでとてもかわいい建物が多かったです。

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旧市街・歴史地区

ワルシャワ歴史地区は第二次世界大戦中ドイツ軍によって壊滅的に破壊されてしまいました。戦後「レンガのひび割れ一つに至るまで」と言われるまで修復されて現在に至るそうです。この美しさは多くの人々の努力によって保たれていると思うとなんだか泣けてきます。

 

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旧市街2。

 おとぎ話に出てきそうな素敵なところでした。かわいいお土産屋さんや人形とかもいました。

 

歴史地区を見学後は、地下鉄に乗ってポーランド料理が食べられそうな食堂へと向かいました。

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地下鉄。

 クラクフには地下鉄はありませんでしたが、ワルシャワにはあります。本数も多くて便利でした。

 食堂にやってきました。メインディッシュはポークで、味はビーフストロガノフのような味でした。またカリフラワーのサラダとトマトスープを注文しました。料理は美味しいけど、お米はイマイチでした。日本のお米には勝てませんね。笑

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ポーランド料理。

 スープは日本人好みの味だと思いました。

 

食後に市中心部へと向かいました。

トラムも高頻度で走っています。ワルシャワは地下鉄、トラム、バス、列車と交通インフラが整っています。

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トラム。

 ワルシャワの中心部まで戻ってきました。文化科学宮殿が目立ちます。

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文化科学宮殿。

第二次世界大戦後、ポーランドソ連の衛星国となり社会主義体制になりました。

文化科学宮殿はスターリンからの贈り物として1952年に建設が開始され、1955年に完成しました。現在では過去の社会主義時代にソ連の支配の象徴として一部市民は嫌悪感を抱いているようです。

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文化科学宮殿入り口。

館内はオフィスがあったり、展望台があるようです。私は外観だけ見ることにしました。表にはかわいいクラシックカーが止まっていました。どうやらツアーとかで利用されるようです。

 

次にポーランドユダヤ人歴史博物館へ行きました。第二次世界大戦中この敷地内にはユダヤ人のワルシャワゲットーがありました。ゲットーとはユダヤ人の隔離されていた施設です。ワルシャワ・ゲットー - Wikipedia

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ゲットーの大きさ。(wikipediaより)

 見てわかるようにかなり大きな範囲がゲットーです。私はもっと小さいものかと思っていました。

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ワルシャワ・ゲットー蜂起記念碑

 

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ゲットー英雄記念碑前でひざまずく西ドイツのプラント首相。

 (以下のサイトから画像を拝借しました。)詳細は以下のサイトをご覧ください。

ワルシャワでひざまずいたブラント Brandts Warschauer Kniefall - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト

 

歴史博物館内は戦争中のことだけではなく、古代や中世のユダヤ人の歴史や他国との関係などの説明もありました。

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シナゴーグの復元。

ブダペストのところでも説明しましたが、シナゴーグユダヤ人の教会です。とっても綺麗で、おみやげ屋さんでこの柄の絵葉書を買いました。

 

他にもナチスソ連に関する展示も多く、全体を見るのに2時間くらいかかりました。

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その他展示品。

何度でも再入場ができるので一旦休憩してみるのもいいと思います。館内にはレストランやおみやげ屋さんがあります。

 

 今回失敗したと思ったのはワルシャワ市内を行ったり来たりしたことだと思います。最初に歴史地区に行った時にそのままポーランドユダヤ人博物館に向かえばより時間を短縮できたと思います笑。もう少し計画的に生きるべきかもしれません。。

 

色々その後カフェに行ったり、H&Mで服を買うなど買い物を楽しみました。ホステルから徒歩10分くらいにあるショッピングモールにも行きました。本屋さんにファーストオーダーのトルーパーが...! 笑

 

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ショッピングセンターの本屋。



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ポーランド国旗と月。

 ショッピングモールから帰るとき国旗を撮りました。幻想的でした。

 

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最後の晩餐。

  ポーランド最後の料理はヒレカツにしました。写真の画質が悪いのですが、目玉焼きとトマトソースがよくあって美味しかったです。

 

翌日朝空港へと向かい日本へ帰国しました。この旅行の時期はコロナもそれほど騒がれておらず、私は特に差別的なことを言われることは一回もありませんでした。むしろハンガリー人もポーランド人も、ウクライナ人も皆優しくて楽しく過ごすことができました。早くコロナが集結して再び良好に行ける日が来ることを楽しみにしています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。ぜひフィンランド編も読んでください。