フィンランド旅行 タンペレ・ヘルシンキ編 (20200313)
こんにちは。あかつきです。昨晩ロヴァニエミ駅から寝台列車に乗って早朝にタンペレに到着しました。
タンペレはフィンランドの第二の都市と言われており、ロヴァニエミにはないような高い建物が目立ちました。またこの日は冬戦争(フィンランドとソ連の戦争)の記念日ということで国中にフィンランドの国旗が掲揚されていました。冬戦争は第二次世界大戦中1939年にソ連がフィンランドに攻めてきたことから始まりました。
駅からバスに乗って近くのホテルへと向かいました。そのホテルでは宿泊せずに、朝食を頂きました。食後は少しの間自由時間があったので私は外に出かけました。まだ朝早くあたりは暗かったのですがとても綺麗な写真を撮ることができました。
一人でケスクストリ広場にやってきました。タンペレの中心部のような場所です。
現在トラムを走らせるために道路を改装工事しているということです。次来る機会があれば乗ってみたいです。
タンペレに来たら行ってみたいところがありました。レーニン博物館です。残念ながら
今回は時間がなくて見に行くことが出来ませんでしたが、表の写真だけ撮ってきました。
ホテルに戻りツアー人たちと再集合して、皆でタンペレマーケットホールへやってきました。
肉や野菜、パン類、靴など様々なものが売られていました。私はセムラというシュークリームのようなものを食べました。実は以前トランジットでフィンランドに来た時も食べましたが、とっても甘くて美味しいです。中にジャムも入っています。市場ってその国の基本的な要素(衣食住)でできていると個人的には思っているので、その国を知るにはいい見学場所だと思います。
教会の中に入る機会は今までほとんどなかったので、いい経験になりました。初めて教会でパイプオルガンを聞いたと思います。(行った時はパイプオルガンは弾かれていました。練習だということです。)また駅から歩いて10分くらいなのでぜひタンペレに来た際には見るといいと思います。入場料もかかりません。
次にムーミン博物館へ向かいました。ツアーでタンペレが含まれているのはこのムーミン博物館を見学するためです。ツアーで一緒になった女子大生ぽい人達はみんな喜んでました。日本でもムーミンは人気ですよね。
ガイドの方によると、もともとこの博物館をヘルシンキに作りたかったということでした。ヘルシンキの役人?人々はあまり興味を持たず、結局タンペレに博物館が作られることになったそうです。今では世界中で人気なので、今となってはヘルシンキに作ればよかったと思っているかもしれませんね。笑
スマホが置いてあるのでこのムーミンの大きさがなんとなくわかるかもしれません。私はムーミンはもっと大きいと思っていたのですが、これが原寸大ということでした。初耳でした笑。館内は基本的に撮影禁止なので気をつけましょう。
ここに来る前にムーミンの書籍を読むなり、見るなりすべきだったと思いました。あまりムーミンのことは知らなかったので、よくわからないことも多かったです。ぜひ来る際は予習を!
ムーミン博物館を見ている間は好きなように時間を使って良いということだったので、私は残りの時間を使ってタンペレ駅構内とロシア正教教会(Tampere Orthodox Church)を見に行くことにしました。(この時間でレーニン博物館を回るのは難しかった)
さっき見たタンペレ大聖堂とは見た目も雰囲気もかなり違いました。改めて地図を見てみるとロシアにも近いのでかなり影響を受けてきたんじゃないかと思いました。
次に駅に向かいました。
緑の柄の列車は以前トランジットでフィンランドに来た時と、ロヴァニエミでも見ましたが赤い柄の列車は見たことがありませんでした。多分この地区を中心に走っているんだと思います。
駅の見学を終えてムーミン博物館へ戻りました。戻る途中に線路が見えました。結構大きな駅だと改めて感じました。
再度集合してバスに乗りヘルシンキへと向かいました。車内でさっき買ったセムラとコーラをいただきました。かなり甘いのでコーラではなく、紅茶とかコーヒーにすればよかったな。笑
バスで2時間くらい揺られてヘルシンキへとやってきました。正直かなり疲れました。青空が出迎えてくれました。体感温度は下に下がるにつれて(ロヴァニエミ→タンペレ→ヘルシンキ)寒く感じました。おそらく風が強かったからだと思います。
元老院広場雰囲気が良くてとても良かったです。天気も最高でした。映画の撮影とかミュージックアルバムの背景に使えそう。
ヘルシンキ自体は約一ヶ月ぶりぐらいだったのですが、やっぱり街並みがとても綺麗でした。
ヘルシンキ中央駅の旗はいつもはVRの旗ですが、さっきも言ったように「冬戦争」を記念して国旗になっています。
海辺には観覧車がありました。この観覧車にはサウナが付いているようです。笑
かもめ食堂でもこのあたりで撮影があった気がする。猫を抱えたおじさん出てきそう笑。
タンペレで見たように、ロシア風の教会です。赤茶色のレンガが特徴なんですかね。
夜もとっても綺麗です。ですがヘルシンキは風が強くロヴァニエミよりもさらに寒く感じました。めちゃくちゃ肌が乾燥して肌環境は最悪でした笑。(化粧水とかリップクリームとかスキンケアが不可欠です。。)
翌日の6:20にはサンクトペテルブルク行きの列車があるようです。結構近いんだなという印象です。ロシアに行くにはビザが必要です。確か今度日本人はサンクトペテルブルクであれば電子ビザが発行されるようになるらしい。 いつになるかは全くわかりませんが、フィンランド(ヘルシンキ)→エストニア(タリン)→ロシア(サンクトペテルブルク)をいつかやってみたいと考えています。
ちなみにこの日の夜友人たちと買い物を楽しんでいるときに「コロナ」と初めて言われました笑。しかも何度も高圧的に... 先月ヨーロッパいろんなところ回った時はそんなことは全くなかったのでかなりショックを受けましたね。その後みんなテンション下がっちゃって、そのままホテル帰りました。(今となれば差別されることで差別される人の気持ちがわかった気がします...)
次回がフィンランド最終回になります。今回も読んでいただきありがとうございました。
フィンランド旅行 ロヴァニエミ編 (20200312)
こんにちは。あかつきです。ロヴァニエミ最終日(3日目)です。前日は残念ながら、オーロラを見ることができませんでした。この日の夜に寝台列車に乗ってタンペレという都市へ向かいました。
すでに述べたようにロヴァニエミはサンタクロース村やオーロラ観測が主要な観光業のため、正直なところ見るところはあまりありません。そこで私たちは再びサンタクロース村へ行くことにしました。(初日にサンタクロース村へツアーで向かいましたが、1時間ほどの時間しかなく十分見ることができませんでした。)
全てが可愛かった。あと室内には北極圏の境目みたいなところもありました。
日本にゆかりがあるようです。
敷地内にはイッタラのアウトレットもあります。コーヒーカップやお皿をお土産に買って行きました。
サンタクロース村の一角にある Santa's Salmon Place というお店にやってきました。見ての通りお店は小さいので15人くらいしか入りません。少しだけ待って席に着きました。
お店の中央に焚き火があって、そこでサーモンを網焼きにしたものを提供してくれます。ふっくりしてジューシーで、今まで食べたサーモンの中で一番美味しかったです。感動した。笑
東京から7340kmもあるんですね。遠くまで来たなあ。
日本語の表記も多く、旅行を通してフィンランドは身近な国に感じました。
食後はまたしばらくお土産など見て各自楽しみました。私はお皿とかグラスの他にステッカーなども購入しました。
トナカイの道路標識のステッカーとっても可愛くて買いました。その後私たちは宿へと戻り駅に出発するまでホテルのロビーで待っていました。
ホテルからバスに乗ってロヴァニエミ駅に向かいました。ヘルシンキ行きの寝台列車に乗りました。列車自体はヘルシンキ行きですが、私たちは途中のタンペレというところで降りました。位置的にはヘルシンキよりちょっと上側のところです。
いよいよ出発です。かなり吹雪いていました。
夜9;00ごろに出発して翌日朝5:30ごろにタンペレに到着予定です。この寝台列車は今まで乗った中で1,2位を争うくらい清潔感がありました。
私たちはこのような部屋に泊まりました。
トイレも綺麗でした。お子様づれや車椅子の方も利用しやすそうでした。
ご飯は食べたのでシナモンロールを注文しました。ちょっとした軽食などを注文できます。ここでしばらくの間友達とおしゃべりして残りの時間を楽しみました。
フィンランド旅行 ロヴァニエミ編 (20200311)
こんにちは。あかつきです。ロヴァニエミ2日目です。この日もあまり天気は良くありませんでした。
友人たちはまだ寝ていましたが、朝6時ごろに目が覚めてあたりを散歩することにしました。(除雪車の音が大きくて5時ごろから寝られなくなってしまいました笑)
正直ロヴァニエミは観光できるところは少ないです。観光できるところは、オーロラ観測や犬ぞりなどのアクティビティ、サンタクロース村や美術館しかありません。でもこのような大きなショッピングセンターもあります。この中には大きなスーパや雑貨店、H&Mもありました。私はショッピングモールの目の前にあるマックでコーヒー飲むことにしました。
このロヴァニエミにあるマックは"以前"は世界の最北端にある店舗でした。"以前"はということ現在は違うの?と想像されたように、現在は記録が塗り替えられてしまっています。(ロシアのムールマンスクに店舗があります。) しばらくコーヒーの飲んでゆっくりしていました。あるブログでこの店舗で最北端の記念したポストカードが無料でもらえると知りました。そこでスタッフに聞いてみるともらうことができました。オーロラこんな感じで見ることができるのかと思いつつ、ホテルへと戻りました。
ホテルで朝食を食べた後、友人たちはオプショナルツアー(犬ぞり等)で出かけて行きました。私はあまり興味がなかったので単独行動することになりました。笑
私はロバニエミ駅と教会を見に行きました。中心部から駅までの経路は以下の通りです。
駅は中心部から歩いて15分くらいのところにあります。雪道はかなり滑るので、いつもよりもさらに遅く歩きました。登山用のブーツがあるといいと思いました。
ロヴァニエミ駅に着きました。第一印象VRというロゴ、背景が緑どこかで見たような感じ。そうJR北海道のロゴっぽいっていうのはみんなが思うことでしょう。そもそもVRってなんの略だってなりました。(もしフィンランド鉄道ならFR?)
なんだか北海道にいるんじゃないかという錯覚に陥りました笑。車両は二階建てで日本の列車と比べても大きく感じました。
かなり雪が降ってきて一旦駅構内の喫茶店で休むことにしました。気動車かっこよかった。
このチョコレートの食感はゴムのようで味もイマイチでした。笑 コーヒーは美味しかった。
駅を出発してロヴァニエミ教会へと向かいました。戻る途中にSLがありました。
道をほぼまっすぐ進んでいくと見えてきます。15分くらい歩きました。
この教会の敷地内にはラップランド戦争で亡くなった人々の墓と記念碑がありました。ラップランド戦争とは1944年9月から1945年4月までフィンランド軍とナチスドイツとの戦争です。フィンランドはソ連と戦争したり、ナチスと戦争するなど大変な目にあったようです。
宿の方へ戻り、休憩することにしました。しばらくすると友人たちが帰ってきました。マックでポストカードをもらったことを友人に伝えたら、みんなももらいたいということになって再びマックへ。笑
このメニューは日本では無いと思います。(多分)ジャンクフードですが、美味しかった。友人たちとショッピングモールでお土産を購入するなどして宿へと戻りました。
夜はツアーに組み込まれていたレストランへと向かいました。このレストランでトナカイ肉をいただくことになりました。
ベリージュースはフィンランドでは定番ですね。甘酸っぱくて美味しかった。マッシュルームスープはククサという白樺の木で作ったコップに入って出てきました。このコップはおみやげ屋さんでたくさん売っていました。(ハンドメイドなのでそれ相応の値段でした)スープは寒かったので余計に美味しく感じました。お土産にいいかもしれません。
メインはトナカイのソテーでした。想像していたよりも獣臭くなく美味しくいただきました。ベリーとよく合います。
食後は再びオーロラ観測に出かけました。昨日と同じ場所で集合して観測地へと移動しました。観測場所は昨日よりもさらに北側の方へ向かいました。今回の観測地は凍った湖の上でした。
ちなみにモイモイはフィンランド語ですが、「こんにちは」とか「やあ」とかいう意味らしいです。ただし使うのは親しい友人とかさらに、使うタイミングによってニュアンスが異なるようです。友人が「モイモイ」と現地の人に使っていたら苦笑いされていました。笑 言葉って難しい。
熱々のベリージュースとお菓子で出迎えてくれました。でも今日も雲行きがあやしい。。
昨日と同じ設定でカメラを撮るけどやはり何も映りません。(写真は明るいですが、これは街明かりが地面に反射して空に写ることで見えるそうです。また実際肉眼ではほとんど光は見えません。カメラの露出を長くしているからです)
ということで結論から言うと、、、
何も見えませんでした。
純粋に悔しかった。とは言え他の旅行者とお話ししたり、ガイドさんと色々と話すことができてとても良い経験になりました。オーロラはフィンランドの他にもカナダのイエローナイフも有名ということで社会人で時間が取れたら是非再チャレンジしたいです。
ということで宿の戻ってゆっくりと休みました。翌日は夜に寝台列車に乗ってタンペレへと向かいます。
フィンランド旅行 ロヴァニエミ編 (20200310)
こんにちは。あかつきです。
先日まで東ヨーロッパを一人で周遊していましたが今回は大学の友人と卒業旅行でフィンランドにやってきました。友人にHISのツアーを申し込んでもらいました。
フィンランドにやってきた最大の理由はオーロラを見ることでした。ツアーなので添乗員さんと他の参加者(ほとんどが大学生 ?)がいました。今回はロヴァニエミに二泊三日、タンペレ・ヘルシンキに一泊二日という予定でした。
ターキッシュエアラインに乗り、イスタンブール経由でフィンランドのロヴァニエミにやってきました。ロヴァニエミはフィンランドの北部に位置し、オーロラが見えるスポットとして有名ですが、さらにサンタクロースの故郷としても有名です。北極圏の町です。
赤い印のところがロヴァニエミです。遠くまでやってきましたね。
オーロラへの期待が高まりました!空港からバスでサンタクロース村へ移動しました。
空港からかなり近いところにありました。逆に言えば市内からは遠いので、空港から直接行くのがいいかもしれません。
クリス松村さんが写っていました。。さらに良く見ると習近平も。。
私は乗っていませんが、トナカイがソリを引いてくれるアクティビティもあるようです。
ツアーの関係上1時間30分くらいしか見ることができませんでした。(ロヴァニエミ最終日に再び訪れました。)
おしゃれで高級そうだけどみんなで勇気出して入店しました笑。
キングクラブパスタとサーモンのサラダを注文しました。サーモンは特に美味しかったです。
食後はオーロラを見に向かいました。近くのホテルでツアーの方と待ち合わせることになっていました。オーロラを見るチャンスは二日間しかありませんでした。
肉眼ではほとんど明かりは見えません。オーロラの撮影では一眼レフカメラなどで15秒露出、ISO感度1600くらいにすると良いです。しかしこの光はオーロラではなく、街明かりが空に反射した姿です。
一般的に外国の方はオーロラ(aurora)とは呼ばず、ノーザンライツ(northern lights)ということが多いようです。観測中は常にガイドの方が解説してくれるので退屈になることはありません。万が一寒くて休憩したいときは部屋で休むことができました。
オーロラが見えない間は小屋の中に待機して暖をとったり、ソーセージを焼いたりして楽しみました。コーヒーや紅茶、ベリージュースなども振舞われました。
粘って粘って外で見えるのを待っていましたが、結局1日目は見ることができませんでした。涙
オーロラツアーが終わってホテルに深夜12:00に戻ってきました。流石に眠くてすぐに寝ました。明日に期待です。
東欧周遊旅行 ポーランド・ワルシャワ 編(20200302~3)
こんにちは。あかつきです。
ワルシャワは三日間滞在しましたが、全てを一つにまとめて書きたいと思います。
ウクライナのリヴィウ からポーランドのワルシャワにやってきました。リヴィウ の滞在はたったの二日間でしたが、また機会があれば今度はキエフに行ってみたいです。
ウクライナとポーランドの時差は1時間です。空港からワルシャワ中央駅までは列車で移動しました。
この券売機で20分券を購入してワルシャワ中央駅へと向かいました。現金、クレジットカード両方使えますよ。
見た目は特急列車ぽいですが、快速列車でした。
しばらくしてワルシャワ中央駅にやってきました。
私が訪れたブダペストやクラクフ、リヴィウは静かな古都のようなところでした。一方ワルシャワはそれらの都市では見られない高いビルや商業施設が特徴的でした。中でも文化科学宮殿と呼ばれる塔は印象的でした。文化科学宮殿の詳細については後ほど説明します。
私は少し東欧の料理に飽きていたので、日本食が食べたいと考えていました。そこでラーメン屋を探すことにしました。私は「MUGI」というラーメン屋さんに行くことにしました。
お店の中にはポーランドの若い女性(学生?)が何人かいて割と賑わっていました。
今思えばリヴィウ からワルシャワの飛行機で話したカナダの学生さんが日本の居酒屋がカナダで流行っているといっていたので、こういう昭和とかの雰囲気は世界中で若い人に人気なのかもしれない?
来ました日本のラーメン!スープは日本の醤油ラーメンのままで美味しかったです。麺は少し柔らかすぎましたが、体が温まってとても良かったです。食後はホステルへと向かい終了しました。
翌日
翌日2020年3月2日になりました。この日はコペルニクス像の見学やワルシャワ歴史地区方面へ出かけました。
コペルニクスは聞いたことがあるかもしれませんが、ポーランドの天文学者です。
コペルニクスの生きていた中世では宇宙の中心は地球であるという「天動説」が信じられていました。一方コペルニクスは宇宙の中心は太陽であり、太陽の周りを地球や木星などの惑星が公転していると考えました。これを「地動説」と言います。この考えは中世以降さまざまな人へ大きな影響を与えることになりました。
このコペルニクス像をよく見てみると、像の真下に円形の線が書いてありました。これは太陽系の軌道を表しているようです。
コペルニクス像からそのまま真っ直ぐ進むとワルシャワ大学の門が見えてきました。ワルシャワ大学は1816年に開講され、200年を超える歴史があるそうです。さらにトップクラスの学生たちがポーランドや世界中からやってくるようで、文系・理系様々な学科があります。中でも日本語学科という学科もあって、大変人気だそうです。
非常に立派な門構えでしたが、大学内に入らずに歴史地区方面へ進みました。
しばらくすると歴史地区が見えてきました。カラフルでとてもかわいい建物が多かったです。
ワルシャワ歴史地区は第二次世界大戦中ドイツ軍によって壊滅的に破壊されてしまいました。戦後「レンガのひび割れ一つに至るまで」と言われるまで修復されて現在に至るそうです。この美しさは多くの人々の努力によって保たれていると思うとなんだか泣けてきます。
おとぎ話に出てきそうな素敵なところでした。かわいいお土産屋さんや人形とかもいました。
歴史地区を見学後は、地下鉄に乗ってポーランド料理が食べられそうな食堂へと向かいました。
クラクフには地下鉄はありませんでしたが、ワルシャワにはあります。本数も多くて便利でした。
食堂にやってきました。メインディッシュはポークで、味はビーフストロガノフのような味でした。またカリフラワーのサラダとトマトスープを注文しました。料理は美味しいけど、お米はイマイチでした。日本のお米には勝てませんね。笑
スープは日本人好みの味だと思いました。
食後に市中心部へと向かいました。
トラムも高頻度で走っています。ワルシャワは地下鉄、トラム、バス、列車と交通インフラが整っています。
ワルシャワの中心部まで戻ってきました。文化科学宮殿が目立ちます。
第二次世界大戦後、ポーランドはソ連の衛星国となり社会主義体制になりました。
文化科学宮殿はスターリンからの贈り物として1952年に建設が開始され、1955年に完成しました。現在では過去の社会主義時代にソ連の支配の象徴として一部市民は嫌悪感を抱いているようです。
館内はオフィスがあったり、展望台があるようです。私は外観だけ見ることにしました。表にはかわいいクラシックカーが止まっていました。どうやらツアーとかで利用されるようです。
次にポーランドユダヤ人歴史博物館へ行きました。第二次世界大戦中この敷地内にはユダヤ人のワルシャワゲットーがありました。ゲットーとはユダヤ人の隔離されていた施設です。ワルシャワ・ゲットー - Wikipedia
見てわかるようにかなり大きな範囲がゲットーです。私はもっと小さいものかと思っていました。
(以下のサイトから画像を拝借しました。)詳細は以下のサイトをご覧ください。
ワルシャワでひざまずいたブラント Brandts Warschauer Kniefall - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト
歴史博物館内は戦争中のことだけではなく、古代や中世のユダヤ人の歴史や他国との関係などの説明もありました。
ブダペストのところでも説明しましたが、シナゴーグはユダヤ人の教会です。とっても綺麗で、おみやげ屋さんでこの柄の絵葉書を買いました。
他にもナチスやソ連に関する展示も多く、全体を見るのに2時間くらいかかりました。
何度でも再入場ができるので一旦休憩してみるのもいいと思います。館内にはレストランやおみやげ屋さんがあります。
今回失敗したと思ったのはワルシャワ市内を行ったり来たりしたことだと思います。最初に歴史地区に行った時にそのままポーランドユダヤ人博物館に向かえばより時間を短縮できたと思います笑。もう少し計画的に生きるべきかもしれません。。
色々その後カフェに行ったり、H&Mで服を買うなど買い物を楽しみました。ホステルから徒歩10分くらいにあるショッピングモールにも行きました。本屋さんにファーストオーダーのトルーパーが...! 笑
ショッピングモールから帰るとき国旗を撮りました。幻想的でした。
ポーランド最後の料理はヒレカツにしました。写真の画質が悪いのですが、目玉焼きとトマトソースがよくあって美味しかったです。
翌日朝空港へと向かい日本へ帰国しました。この旅行の時期はコロナもそれほど騒がれておらず、私は特に差別的なことを言われることは一回もありませんでした。むしろハンガリー人もポーランド人も、ウクライナ人も皆優しくて楽しく過ごすことができました。早くコロナが集結して再び良好に行ける日が来ることを楽しみにしています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。ぜひフィンランド編も読んでください。
東欧周遊旅行 ウクライナ・リヴィウ 編(20200229-0301)
こんにちは。あかつきです。
ポーランドのクラクフからウクライナのリヴィウへとやってきました。リヴィウ は二日間の短い滞在でした。その後ポーランドのワルシャワへ向かいます。
(朝の間はカメラがコンデジになっています。そのため画質が若干変わります。)
ウクライナの首都はキエフです。今回訪れたリヴィウ はウクライナの西側にありどちらかといえばポーランドに近いです。リヴィウ に住む人はどちらかといえば反ロシア派、独立派が多く、東側に住む人はロシア派の人が多いそうです。また2014年にロシアがクリミア半島に一方的に侵攻しています。以来両国の関係は悪化し、ウクライナ国内は混乱しているとのことでした。ただし実際西側のリヴィウ を訪れましたが特に目立って治安が悪い、経済が停滞しているとは思いませんでした。
また日本からは飛行機の直行便はありませんので、ポーランドなどを経由していく必要があります。
2020年2月29日 AM6:00ちょっと過ぎにリヴィウ 駅に到着しました。到着後しばらく車内で寝ていたようで、おばさんが起こしに来てくれました笑。急いで身支度して駅の中へ向かいました。駅の中はクラクフやブダペストより豪華な造りになっているのが特徴でした。
シャンデリアもあって圧倒的に雰囲気が変わって、これぞ東欧といった感じの駅でした。文字もキリル文字になっています。また人々に見られているという独特な感覚も戻ってきました。笑(振り返られる、じっと見られるなど)
駅の門構えはその国を表していると思います。非常に立派な駅です。
駅前には「タクシー!」「タクシー!」と声かけてくるおじ様たちがいたのですが、断って徒歩で市内の方へ向かいました。(タクシーは基本的に乗りません。)
クラクフやブダペストではあまり見ることができなかったクラシックな車も多く走っています。日本車はほとんど走っていないのが印象的でした。
まだ朝も早いので人は少なかったです。坂道が思った以上に急でした。
バス停の前で果物など販売していました。
青空がいいですねえ。国旗もシンプルだけどいい国旗ですね。調べたところ国旗の青色は「空」を、黄色は「小麦」実りある農業を表しているということです。
こちらは街の中でも大きな教会です。17世紀ごろに建てられたそうです。
しばらく歩いた後は市内のあるレストランで朝食にしました。シンプルですがとっても美味しかった。
左側にある料理は今まで食べたことないものでしたが、ポテトのようなもので美味しかったですよ。あとはソーセージ、マッシュルーム、トマトそしてヨーグルトがついていました。
このお店はコーヒー専門店のようで、コーヒー豆を焙煎していました。とっても良い匂いです。さらにコーヒーのカップやソーサー、豆など販売していました。リヴィウ のお土産やさんにはおしゃれなものがたくさん売っていて見るだけでもとても楽しかったです。
市庁舎の近くでは蚤の市もやっていました。おそらく土日開催なんだと思います。
大体のお店が市内に集中しているので観光するにはかなり楽だと思います。ただそれほど見るものがないというのもありますが全体的にかなりゆったりと過ごしていました。陽気な音楽も流れていました。
以前鉄道ジャーナルという雑誌で見たような景色だったので写真を撮りました。トラムも数分おきに走っていて移動するにはとても便利だと思います。
次にちょっと興味があったロンスキー刑務所博物館というところへ向かいました。
この博物館はソ連時代に使用されていた刑務所のようで様々な展示品を見ることができるようでした。しかも無料です。土曜日は休みで扉を開けたら警備のおじさんにやっていないと言われてしまいました。。残念でした。ちょっとだけ離れたところにあるので次の日はいくことができませんでした。
近くのスーパーへ行きました。
スーパーでお土産用のお菓子やビールさらに洗濯用の洗剤を買ってきました。
ビールは知り合いのお酒好きにプレゼントしました。美味しかったかな?
その後宿の方へ荷物を置きにやってきました。
私の滞在した宿の近くに猫たちがいました。愛想は良くないけど可愛らしい猫でした。
ホテルで二日ぶりのシャワーを浴びて、さらに洗濯をしてしばらくゆっくりしていました。
その後夕食と買い物をするために外出することにしました。夜ご飯はまたもカツレツにしました。キエフ風カツレツは有名で、切ると中からバターがたくさん出てきました。美味しかったですが、全体的に味に飽きてきたというのが現実でした笑。今思えばボルシチ飲んでなかったな。。ボルシチは本当はロシアではなくウクライナ発祥らしいです!
ご飯食べてまたしばらく街をぶらぶらしました。近くのスーパーに入店しました。そしたらこんなビールがありました。前に他の人のブログでキエフかどこかにプーチンの顔が書いてあるトイレットペーパーが販売されていると聞いたことがあります。ロシアとウクライナはクリミア半島でもめているのでこういうのが人気があるのかもしれません。。味はどうなのか。
今思い返せばリヴィウ に寝台列車で行くことが目的で、思った以上にどこにも行っていないことに気がつきました。苦笑 だけどハンガリーやポーランドとは雰囲気が全く違うのでとても楽しかったです。
夜は街灯がないところは歩かない方が身のためかと思います。
リヴィウ 二日目も連続して掲載します。
二日目(2020年3月1日)
3月になってしまいました。また朝昨日の猫に会いました。
もふもふしたい。
まずは市内から空港までの行き方がわからなかったため、歩いてバス停を探すことにしました。ネットで調べても出てこないので、結構困りました。頑張って調べたところリヴィウ 大学前のバス停から出ていることがわかりました。今までiPhoneにもともと入っている「マップ」を使用していたのですが、このアプリは路線図が出るときと出ない時があります。そこで今回はGoogle Mapをインストールして調べてみたところ路線図もバッチリ出てくるのでこちらを活用することにしました。ただし今回使用しているヨーロッパ周遊simはウクライナでは使用できなかったため、wifiがなければGoogle Mapは更新できません。そこでオフラインでも使用可能な「MAPS.ME」をダウンロードしました。
このアプリは事前にwifiのあるところでその街の地図をダウンロードしておくことで、オフラインの際にもGPSによる経路案内ができます。大体の目的地もこちらで検索すればヒットするのでかなり便利です。バスとかを調べるにはGoogleMapを使って、オフラインではMAPS.MEを使用しました。ぜひ使ってみてください。
少し話が飛びましたがバス停へとやってきました。
フィンランドやポーランドとは違って車内で現金で支払うことができます。フィンランドに関して車内では現金が使えなかった気がします。(確か)
バス停の場所が把握できたので、出発までお土産を買うことにしました。
また蚤の市やっていました。軍服みたいなものまで売っているとは。楽しい!
教会とか銅像とかも多い。
夜は少し怖そうなところもあります。
あんまりウクライナで日本のものを見かけることはありませんでしたが、ラーメンという文字を発見。よく後ろを見るとパスタが。。
色々みて回って疲れたので、空港へと向かうことにしました。リヴィウ 大学前に戻りました。しかしもう一度駅に行って写真を撮りたかったので、途中でバスを降りました。
駅の中は昼間も暗めなので、ひったくりやスリなどには気をつけないといけないです。
大きな荷物を持ってどこへ行くのでしょうか?中には親子の別れるシーンも見えてきました。
「Небезпека」は「危険」という単語で線路内に立ち入るな!というポスターなんですね。この東欧ぽいポスター好きです。
駅近くからバスに乗って空港へと向かいました。
新しい空港でした。LOTポーランド航空で18:50発ワルシャワ行きに乗りました。次はキエフにも行ってみたいです。
リヴィウ のまとめ
・物価は安い。(経済的な混乱があるから?)治安もそれほど悪くない?
・街全体が美しい。でも観光地はそれほどない。(事前のリサーチ不足もあると思いますが、市内に密集しているので1~2日で十分かと)
・トラム、バスも充実。現金払いも可能。
ワルシャワ編に続きます。読んでいただきありがとうございました。
東欧周遊旅行 ポーランド・クラクフ編(20200228)
こんにちは。あかつきです。
この日はアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を訪れました。さらに夜はクラクフ中央駅から寝台列車に乗ってウクライナのリヴィウ へと向かいました。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所のWEBページは以下のサイトです。
以下のサイトから見学の予約が可能です。本来であれば予約方法を説明したいところですが、コロナウイルスの流行により博物館が休館していることから予約のWEBページが閉鎖されています。そのため今回は省略させていただきます。(20200326現在)
またクラクフ中央駅からこのくらい離れています。60km離れているため、列車やバスなどを使っていく必要があります。今回私は行きはバス、帰りは列車で移動しました。
前日に予約したバスでアウシュビッツ強制収容所まで向かいました。9:00ごろ出発して2時間かからないくらいで到着しました。(バスの予約等は前回の記事をご覧ください。)
いよいよきた。
レンガの建物から時間になったらチケットを見せて入場できます。右のほうには売店や喫茶店、チケット売り場がありました。恐る恐るチケット売り場を見てみると英語ツアーもありました。前日にネットで見たときはポーランド語しかなかったのに。。急遽英語のものを買い直すことにしました。笑 結論から言うと朝早く来れば買うことはできそうです。
時間まで施設内の売店を見ることにしました。売店でパンフレットを売っていたので購入することにしました。このパンフレットは25ズロチ(670円くらい)でした。その他日本語の書籍も多数販売されていました。これを見れば収容所の各フロアがよくわかります。
施設の中には有料トイレ、キオスク、喫茶店や両替所もあり便利でした。
アジア圏の国だと日本語、韓国語などに翻訳された本があります。
また大きな荷物は預けなくてはいけないため、こちらで預けます。財布パスポートなどは身につけておきましょう。いくらかは忘れてしまいましたが、そんなに高くはありません。今回は英語のツアーを申し込みましたが、ガイドの近くにいるだけでほとんどはパンフレットを見ながら迷惑にならないようについて行きました。入り口でヘッドホンを借りて、ガイドの方の声を聞くことが可能です。英語のスピードはかなり早いので全て聞き取ることはできませんでした。。(英語力のなさを痛感。)
さていよいよ。強制収容所跡地へ入りました。まず見えてきたのはこちら。
歴史の教科書で一度は見たことがあると思います。有名なスローガン「働けば自由になる」が印象的でした。Bという文字が上が大きくなっているのがわかります。これは収容されていた人の抵抗の証だという説もありますが、当時のフォントではこういう書き方をする場合もあったらしい。真相はわかりませんが、「働けば自由になる」と信じて大変な思いをされた方がいるのは紛れも無い事実です。
この地図は強制移住者を乗せた列車がどこからやってきたかを表しています。欧州各地からやってきたことが直感的にもわかりますよね。オスロとかの離れたところから来ているとは思っていませんでした。
女性や子供、老人などの収容者の写真です。こんなに小さな子供まで。。。
次の写真は強制収容者の所持品です。マグカップ、メガネ、バッグそして義足まで大量に保存されています。
この膨大な量の所持品には本当に驚きましたし、寒気もしました。また多くの髪の毛も保管されています。こちらは写真撮影が禁止でした。館内には撮影禁止スポットが多数ありますので注意しましょう。
(撮影禁止場所の写真撮っている外国人がいて、ガイドの人がキレていました。ルールは守りたいですね。)
この写真に写っている人々はみな収容所内で亡くなっています。囚人番号や名前、職業などが記載されています。
多くの人がいたことから衛生環境は想像できないくらい悪かったのではないかと思います。パンフレットによると被収容者古参が様々な命令や禁制、例えばトイレの時間を短くするなどして困らせたそうです。
いわゆる「死の壁」において多くの人が銃殺されました。この壁は1944年にドイツによって破壊されましたが、戦後復元されたそうです。
有刺鉄線や監視塔が張り巡らされていて、ドクロマークがさらに恐怖を引き立てています。
1947年4月に収容所の初代所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスが絞首刑に処されました。(注意:名前が似ているのですがルドルフ・ヘスという人もいます。)
最後にガス室と焼却炉へやってきました。中は暗くひんやりとしていました。
中は暗くシャッターは使えず、写真がほとんど撮れませんでした。ガス室の天井には穴があってそこからツィクロンBという毒ガスを落とすことによって多数の人々を殺害したそうです。ガス室の横には焼却炉があり、1日に約340人を焼却することが可能だったそうです。昔見たシンドラーのリストのワンシーンを思い出しました。。
1時間くらいだっと思いますが、非常に憂鬱な気分になりました。だけど知らなかったことを多く学ぶことができてよかったです。
実は近くに第二収容所ビルケナウがあり、見学することができます。博物館の敷地内にはバス停があり、第二収容所ビルケナウまでは無料のバスが出ています。10分もかからずに到着しました。
見えてきました、第二収容所ビルケナウ。進入門です。列車にたくさんの人を乗せて強制収容所へと輸送していたそうです。
これらの施設はソ連が攻めてくる前に証拠隠滅のために、1945年1月にドイツの親衛隊によって破壊されました。
追悼碑は1967年にアウシュビッツの犠牲者を追悼するために建てられました。
収容所は私が想像していたよりもはるかに広かったです。12月や1月はもっと寒いと思います。収容されていた人たちはとても寒い思いをしたと思います。空は青空なのに悲しい。。
見学を通してまだまだ知らないことが多いと痛感しつつも、良い経験ができて本当に良かったと思います。日本人だからこそ訪れるべきだと思います。隣国ともうまくやっていくことができるヒントがここにはあるかもしれません。
その後クラクフ中央駅へと戻ることにしました。帰りはアウシュビッツ強制収容所から歩いて20分くらいのところにあるオシフィエンチム駅から列車で帰ることにしました。
ほぼ直進なので間違えることはないと思います。
駅は改装工事中でわかりにくい構造になっていました。写真を撮り忘れてしまったのですが、駅を正面に見て右手の方向に券売機がありそこでチケットを買うことができます。2020年2月28日現在では窓口などはありませんでした。列車の本数も少ないので列車が来るまで結構待ちました。駅前にはレストランやキオスクがあるので軽食を買っておくといいと思います。私は飲み物とハンバーガを買って車内で食べました。
車両は思っていたほど古くなく清潔感がありました。日本の中央線カラーぽくてなんだか懐かしくなりました。笑 車内は4人がけのクロスシートです。
オシフィエンチムからクラクフ中央駅まで2時間ちょっとかかりました。Amazonのキンドルに映画をダウンロードしたものを見て暇つぶししていました。笑
また前日訪れた駅内のレストランにやってきました。
今回はチキンのカツレツを注文しました。美味しかったです。そのあとは21:02の寝台列車まではギャラリア内の文具店や服屋、スーパーなどを徘徊して良さげなお土産を探して時間をつぶしました。
寝台券は前日にカウンターで購入していました。バスと同じように目的地、時刻、人数を伝えれば購入できます。心配であればメモして渡すと良いと思います。
乗車の時間が近づいてきました。
21:02発リヴィウ エクスプレスに乗って移動しました。(英語表記だとLVIV、ポーランド表記だとLWOW?)
ウクライナカラーの車両で今まで乗ってきたものとは雰囲気が違いました。車両は結構古めだけど、中は割と綺麗でした。私の部屋は3人の寝台車となっておりかなり狭いのが特徴でした。すでに休んでいる方がいたので写真を取るのは翌日にすることにしました(結局朝寝坊して叩き起こされて写真を撮る時間はありませんでした笑)。
おおよそ3時間くらい走ったところで国境付近にやってきました。そこでパスポートのチェックが行われました。ウクライナはEU加盟国ではありませんが、日本人はビザなし入国が可能です。アジア人がいたからかなり違和感があったようですが、思った以上にあっさりと検査が終わりました。しばらくすると今度はウクライナ側でのチェックが行われましたが、無事に入国できました。特に質問等はありませんでしたが、体温を図られました。コロナでしょうかね?(この時点ではコロナはイタリアを除いてヨーロッパでそんなに流行していませんでした。)
クラクフのまとめ
・地下鉄はないですが、トラム・バスが充実。価格も安い。またブダペストと比べても両替所も多い。
・昔の都市と現代的な都市が共存しています。(旧市街と駅周辺)
・悲しい・暗い歴史も多いが、人々は明るく親切でした。
続きは次回ご覧ください。読んでいただきありがとうございました。